許せなかった
私がフラッシュバックして
苦しくて辛くて
薬のんでも消えなくて
気が狂いそうになるのを
グッと押さえている横で
孫と楽しそうに遊び
幸せそうに寝ているあいつが許せなかった
濡れ衣 その2
その様子を隣の班のK子が覗きにきていた
K子は家が裕福で女子ではトップの成績
学年のイベントがあるごとに代表の挨拶をするのが定番で
いわゆる担任のみならず学校自体で一目置かれる子だった
K子の班も紙芝居の演し物に決まっていたが
話し合いも上手くいかずなかなか作業が進んでいない様だった
K子は自分の班に戻ると何やら話し合いをはじめた
その後、教卓でテストの採点をしている先生のところに走り寄ると
先生に耳打ちをしはじめた
K子が班に戻っていくと
"○○さん(私)ちょっときて"と先生に呼ばれた
普段、担任に皆の前で特別に呼んでらう事がなかった私は
きっと紙芝居製作の頑張りを誉めて貰えるんだろうと嬉しくなり担任のもとをむかった
しかし、担任の口から出た言葉は信じられないものだった
濡れ衣
小3のクリスマス会にクラス内で
何人かで組んで演し物をする事になった。
私のグループは
オリジナルの紙芝居を作ることにした。
みんなで話し合いながらストーリーを考えて
絵が得意な私が自然と中心になり紙芝居を作る事になった
確か主人公の女の子がいろんな動物に会い
プレゼントを渡していく?とかそんな内容だったと思う。
小3なりにおもしろなオチを考えたり
話つくりながら笑ってしまったり
とても楽しい時間だった。
また、皆の話からその物語の場面を思い浮かべ
絵に描いて仕上げるという作業は本当に楽しかった
家にもって帰り下絵を書き
つきの日学校で皆で色を塗った。
最後にものがたりのタイトルを決める段階になり
私に素晴らしくぴったりな題名が思い浮かんだ。
"クリスマスの贈り物"
これい以外にあり得ないと思えるぐらい
ぴったりな題名がだった
というよりは天からいきなり下りてきたというの感覚が正しい
皆も賛成し字の上手な子が最初一枚にタイトルを書きこんだ
いじめ
小学校の頃の私は
そんな家庭環境に加えて激しいいじめにもあっていた
くつは週に一回は隠された
たいがい焼却炉の中でみつかるのでいつもすすで薄汚れていた
朝登校しくつを隠されたと下駄箱の前で泣いていると
先生が焼却炉からすす汚れたくつをもってきて渡す
その光景を苛めっ子2~3人が壁に隠れて笑いながら見ていた
ものは盗まれしょっちゅうなくなった
無くなった消しゴムを泣きながら探し
ごみ箱で見つけ拾いあけ悔しくてひたすら泣いていた
いじめっこの男子から暴力もふるわれたしその度に泣いたが
誰も優しく声をかけたり助けてくれる子もいなかった。
勉強はかなりできるほうだった
小1~小2で持ちあがりで見てくれた先生には
とりわけめをかけてもらえたが
小3で担任がかわったとたん
担任も苛めに加わった
私は肥満児だった
風呂も週に一回程度しかいれてもらえず
服や下着も3日に一度しかかえてもらえなった。
親に汚いと苛められてるから風呂に入りたいと言っても
そんなもん週に一回で充分だと聞き入れてもらえなかった
くつや、体操着、給食袋を持ち帰っても
洗濯をしてもらえなかったし
親は自分たちの事で手一杯で
私の身なりの事はほとんど構ってもらえなかった
私は当時薄汚れて臭くて醜い子だったのだろう
小3の担任に嫌われた理由は知らないが
今思うと比較裕福で見た目が綺麗な男子や女子を可愛がっていたのでそういう事だろう。
授業中発言しようと手をあげてもなかなかさしてもらえない
後から手をあげたお気に入りの子をさす
給食でおかわりをしようと食器をもっていくと
みんなの前で担任に"ふっとてるからいっぱいたべるのか?"と鼻で笑わればかにされた
ある時、担任がお気に入りの学年で1番頭がいい男の子が手をあげ発言をした
その時の答が担任の気に入った答だったらしく
"太った子は頭がいいね"と褒め称えた
しかし次の瞬間わたしをみて
"あ、そうでもないか ハハハハハ"と笑ったのだ
それにあわせクラス全体で笑いが起きた
私の関係ない事でも担任の攻撃の対象になったのだ
とにかく気に入らなかったのだろう
担任がそんな調子なので
いじめはどんどん激しさを増していった
授業の1日の終わりのお帰りの際、
反省会なるものがあり
そこでは今日1日学校でおきた良いこと悪い事を発表する場なのだか
そこでは私のだめなところを発表する場になっていった
私の両親
私の生い立ちについて。
山に囲まれた田舎まちに生まれる。
家は自営業で裕福ではないが凄く貧乏というわけでもなく
中流の下といったところだろう。
10才うえの姉、7才うえの兄がいたが
もの心つく頃にはすでに家を出ていたため
私が大学で上京するまで、父、母、祖母(父方)、私の4人暮らしていた。
父親は祖母を一番大切にし
子供には無関心
気にくわないことがあると毎日
私と母親を恫喝し恐怖で支配するくそ野郎だ
母親は姑と折があわず
父親からの言葉の暴力に
ただただ堪え、毎晩私の枕元で泣いていた
私は子供心に母親を守りたい一心で
父親に立ち向かい反抗的な態度をとり戦い続けてきた
四、五歳の頃の思い出といえば
幼稚園にいってる間ずっと母親の事が心配で
どうしたら父親をやっつけられるか
そんな事ばかり考えていた。
父親にどこかに連れていってもらったり
遊んでもらい楽しかった思い出はほとんどない。